2013年7月29日 星期一

桐油蒔絵、217年ぶり姿現す…日光東照宮

西側の羽目板の下から初めて姿を現した陽明門の西壁画(26日、日光東照宮で)=山田博文撮影



ぶり【振り】
[語素] 1 名詞、動詞の連用形に付いて、その物事の状態やようす・ありかたなどの意を表す。語調を強めるとき、「っぷり」の形になることがある。「枝―」「仕事―」「話し―」「男っぷり」「飲みっぷり」...

桐油蒔絵、217年ぶり姿現す…日光東照宮





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西側の羽目板の下から初めて姿を現した陽明門の西壁画(26日、日光東照宮で)=山田博文撮影
日光東照宮で行われている平成の大修理で、26日、陽明門の西の側面の彫刻が取り外され、壁面から鶴や松が描かれた桐油蒔絵(とうゆまきえ)が217年ぶりに姿を現した。
 昭和の大修理でのX線撮影で絵柄は確認されていたが、赤、黒、緑などの鮮やかな色彩が初めて肉眼で確認された。江戸時代の工芸技術の一端を伝える壁画に、関係者から感嘆の声が上がった。
 1969~73年の昭和の大修理では、東側面の彫刻が外され、紅梅と錦花鳥(きんかちょう)の壁画が確認された。西側面の彫刻の取り外しはこの時は見送られた。
 西側面の壁画は1636年(寛永13年)の陽明門の創建時に描かれ、その後数回の塗り替えを経て、鶴と松などが描かれた現在の桐油蒔絵になった。桐油蒔絵は直射日光で劣化することもあり、1796年(寛政8年)、牡丹(ぼたん)唐草の浮き彫りをした彫刻で覆いがされた。
 壁面に描かれていたのは、松の枝の巣の近くの鶴2羽と3羽のひな。桐油など2種類の油で溶いた顔料で赤、黒、緑、白などの色彩が施され、金箔(きんぱく)も使われていた。下絵は狩野派の絵師・狩野祐清が描いたと思われるが、蒔絵師は不明という。
 この日は世界遺産「日光の社寺」の維持・修理を行う「日光社寺文化財保存会」の職員らが彫刻を取り外した。漆塗り部門の佐藤則武主任(64)は 「やっと出会えたなあという感じ。生きててよかった」と笑みを浮かべ、「桐油蒔絵は当時の流行を伝える特殊な技術。江戸時代の文化をひもとくことにつなが る」と壁画の価値を強調した。東照宮の職員は「200年前の陽明門の姿を見た気がする」と感激した様子だった。
 総工費約10億円を見込む陽明門の修復は、6月に始まり、約6年後に終了予定。今後、塗膜の破片から顔料の分析なども行う。壁画の一般公開は今後検討するという。
(2013年7月28日18時54分  読売新聞)

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