高山辰雄氏死去 日本画家、文化勲章受章者
2007年9月14日 18時14分
高山 辰雄氏(たかやま・たつお=日本画家、文化勲章受章者)14日午後4時19分、肺炎のため東京都内の自宅で死去、95歳。大分市出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
東京美術学校(現東京芸大)卒。ゴーギャンの生き方に感動して、46年に制作した「浴室」が日展の特選に選ばれ、出世作となった。人間や自然を凝視する精 神性の高い画境を深め、65年「穹」で芸術選奨文部大臣賞。72年日本芸術院会員。重厚な画風で新しい日本画を開拓した業績などで82年、文化勲章を受章 した。
ライフワークとして高野山金剛峯寺奥殿の全長100メートルを超える大障壁画に取り組み、99年第1期作品「投華-密教に入る」を奉納した。
75年から2年間、日展理事長を務めた。
ORBITUARY: Painter Tatsuo Takayama
09/15/2007
Tatsuo Takayama, 高山辰雄 a Japanese painter awarded the Order of Culture in 1982 for innovation of the art, died of pneumonia Friday at his home in Tokyo's Setagaya Ward.
He was 95.
A member of the Japan Art Academy, Takayama had gained respect for his works displayed at the prestigious Nitten exhibitions.
He led the postwar Japanese-style painting movement together with Kaii Higashiyama and Yasushi Sugiyama.
His works adorn partitions at the Kongobuji Temple on Mount Koyasan, a holy Buddhist area in Wakayama Prefecture.
The Asahi Shimbun(IHT/Asahi: September 15,2007)
http://www.lares.dti.ne.jp/~ymksan/feature_06.html |
| 高野山「投華の軌跡」 うす暗い堂内に安置された五智如来像をじっと凝視する。素足から霊気を感じとり、その感触を心に刻み込んでいるように思える。 私の切るシャッター音だ けがやけに響く。 <何か>と対話しているように真剣な画伯表情を見ているとカメラを持つ手が萎えそうになる。 勇を鼓して構え直す。まったくこの画伯の 気迫には圧倒されるものがある。 この仕事はまるで「被写体とカメラマンとの真剣格闘勝負だな」と思った。 高山画伯が高野山・金剛峰寺に納める屏風絵を描くことになったと映画監督の村野鐵太郎さんから聞いた。その製作過程をハイビジョンVTRで記録する際、スチール写 真でなければ表現できないシーンがあって、それを撮ってみないかと誘われたのだ。 画伯の描こうとしている屏風絵は、無名の留学僧である空海が唐の長安で密教の奥義を授かる歴史的な瞬間がテーマだった。 撮影は厳寒の高野山から始まった。監督が私に要求したのは画伯のさまざまな表情と霊宝館にある仏像群の手や指先の形、僧衣や裳裾の襞、祈りの最中、印を結ぶ修業僧たち…の動きを一枚の写 真に定着させることであった。 千年を経た老杉の大木に覆われた石畳の参道をはさんで無数の苔むした墓碑群。大きな画帳を小わきに抱えて画伯が歩いて来る。 時々立ち止まり、しゃがみ込み、凝視する。 「空気も土も眺めて飽きることはない。 自然は<何か>を持っている。何かがつかめたらと画面 の上に鉛筆で確かめる。極大の宇宙から極微の原子、生命の遺伝と神秘な領域の事柄まで、教えられるけど、迫ればまた遠くに行くようで、自然の持つ力、美しさの答えにはなってくれない。 私は<何か>に生かされていると思う時がある。それが何なのかわからない。 私を知る人も、知らない人も、自然も、そして人間が作り続けたビルや高速道路が、私を生かし作ったと思う。私の身体のまわりにある風が、そのまま心の中にある‥。」 撮影がひと段落してようやく喫茶店で暖をとりコーヒーを啜って落ち着いた時、私は自分の写 真集を差し出した。画家を撮ったものや、美術関係の本ではない。湾岸戦争やドイツ統一、38度線やエトロフ島など世界の激動地を取材したものだ。 |
今世紀最大の障屏画と称される「投華-密教に入る」は製作決定から十六年の歳月を経て、昨年の九月、三部作の第一部として六曲一双が完成した。高野山・ 金剛峰寺での入魂式の当日、並び、立てられた屏風画を前にして淡々と挨拶をされる画伯を眺めながら、初めてシャッターを切った時以来あしかけ六年間を思い 起こしていた。 | ||
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高野山「投華の軌跡」
<"求道者"の素顔>
うす暗い堂内に安置された五智如来像をじっと凝視する。素足から霊気を感じとり、その感触を心に刻み込んでいるように思える。 私の切るシャッター音だ けがやけに響く。 <何か>と対話しているように真剣な画伯表情を見ているとカメラを持つ手が萎えそうになる。 勇を鼓して構え直す。まったくこの画伯の 気迫には圧倒されるものがある。
この仕事はまるで「被写体とカメラマンとの真剣格闘勝負だな」と思った。
高山画伯が高野山・金剛峰寺に納める屏風絵を描くことになったと映画監督の村野鐵太郎さんから聞いた。その製作過程をハイビジョンVTRで記録する際、スチール写 真でなければ表現できないシーンがあって、それを撮ってみないかと誘われたのだ。
画伯の描こうとしている屏風絵は、無名の留学僧である空海が唐の長安で密教の奥義を授かる歴史的な瞬間がテーマだった。
撮影は厳寒の高野山から始まった。監督が私に要求したのは画伯のさまざまな表情と霊宝館にある仏像群の手や指先の形、僧衣や裳裾の襞、祈りの最中、印を結ぶ修業僧たち…の動きを一枚の写 真に定着させることであった。
千年を経た老杉の大木に覆われた石畳の参道をはさんで無数の苔むした墓碑群。大きな画帳を小わきに抱えて画伯が歩いて来る。 時々立ち止まり、しゃがみ込み、凝視する。
「空気も土も眺めて飽きることはない。 自然は<何か>を持っている。何かがつかめたらと画面 の上に鉛筆で確かめる。極大の宇宙から極微の原子、生命の遺伝と神秘な領域の事柄まで、教えられるけど、迫ればまた遠くに行くようで、自然の持つ力、美しさの答えにはなってくれない。
私は<何か>に生かされていると思う時がある。それが何なのかわからない。
私を知る人も、知らない人も、自然も、そして人間が作り続けたビルや高速道路が、私を生かし作ったと思う。私の身体のまわりにある風が、そのまま心の中にある‥。」
撮影がひと段落してようやく喫茶店で暖をとりコーヒーを啜って落ち着いた時、私は自分の写 真集を差し出した。画家を撮ったものや、美術関係の本ではない。湾岸戦争やドイツ統一、38度線やエトロフ島など世界の激動地を取材したものだ
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