2013年2月13日 星期三

小林一茶:批評した「点帖」発見

小林一茶:批評した「点帖」発見 「お金のための採点は嫌いだった」

2013年02月11日
 5月に生誕250年を迎える江戸時代の俳人、小林一茶(1763〜 1827)が俳句愛好者らの句を採点、批評した帳面「点帖(てんちょう)」が長野市内の民家で見つかった。一茶に詳しい二松学舎大学の矢羽勝幸客員教授 (67)は「松尾芭蕉の影響で、一茶は収入のために他人の俳句を採点することを嫌っていた。これまで点帖は2点しか見つかっておらず、貴重な発見」と話し ている。【仲村隆】
 点帖は、長野市篠ノ井杵渕の農家、轟謙一さん(90)の土蔵で保存されていた。表紙に「蟋蟀(きりぎり す)」(コオロギの意味)と題が書かれたほぼA4判サイズの帳面。コオロギを題材にした作者不明の作品321句が収められ、それぞれを評価して0〜3個の 丸が付けられていた。最後のページには、一茶の句と署名が自筆で書かれている。
 地元の郷土史研究家の手を経て矢羽客員教授が確認し、末尾の一茶の句や署名の筆跡などから晩年に一茶が関わったことが分かった。
 最も評価の高い丸が三つの句の中で「蟋蟀 墨擦る音に 鳴きやみぬ」の句は、一茶が「鳴き交じる」と直している。矢羽教授は「墨を擦る音と鳴き声が一緒に混ざって聞こえた方がおもしろいと考えたのでは」と話す。
 矢羽客員教授によると、当時は有料で句を募集し、有名俳人が選者として金を稼ぐケースが多く、専用の印を押して採点した点帖も数多く残されている。
 一方で一茶の点帖は、これまでに長野県信濃町の一茶記念館と新潟県小千谷市の民家で発見された2点のみ。今回も含め、いずれの評も筆の軸の頭に朱墨を付けて押した丸で示す素朴なものだったという。
 矢羽客員教授は「一茶が句の採点を断る手紙が残っている。親しい人物に頼まれるなど、断り切れなかったのではないか」と推測している。

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日文寫法
日語原文 小林一茶
假名 こばやし いっさ
平文式羅馬字 Kobayashi Issa
小林一茶(1763年-1827年),日本著名俳句詩人。本名彌太郎,生於信濃國水內郡柏原村(今長野縣上水內群信濃町柏原)的一個農民家庭里。十五歲即開始學習俳諧。有著自己鮮明的風格。25歲時拜葛飾派俳諧詩人二六庵竹阿為師,二六庵死後,承繼師門,號稱二六庵菊明。29歲時,改號為俳諧寺一茶。次年起在京都、中國、九州四國等地流浪。
小林一茶的主要作品有《病日記》(1802)、《我春集》(1812)、《七番日記》(1818)、《我之春》(1819)等。他的俳諧富有個性,巧妙地運用方言俗語,對於小鳥也都傾注同情,表現了人道主義思想。

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