2012年12月19日 星期三

6世紀武士 遺骸 笑っているようで武人 日本最古の人物埴輪か 奈良


 日6世紀武士 遺骸出土

(法新社)
日 本考古學家日前在群馬縣金井東裏遺跡,挖出了一具穿著古代鐵製盔甲的男性武士的遺骸,研判這具遺骸可能是在6世紀初期榛名火山爆發時,遭到熔岩與火山灰掩 埋的罹難者。這具武士骨骸兩腳並攏,面朝著榛名火山趴臥在深約1公尺的土溝中,骨骸被厚約30公分的火山灰覆蓋,年齡不明,但研判應為高階武士,同時出土 的還有嬰兒的頭骨和數十枝鐵製箭頭及其他的盔甲。由於同樣遭到火山爆發掩埋,該處遺跡也有「日本龐貝」之稱。 (編譯林翠儀)



a clay image (placed in ancient burial mounds); a haniwa

はに‐わ【×埴輪】

《土で作った輪の意》4~7世紀ごろ、古墳の上または周囲に立て並べた素焼きの土製品。弥生時代の壺(つぼ)をのせる器台を起源にもつ円筒埴輪と、人物・馬・猪(いのしし)・犬・鶏・水鳥・盾(たて)・靫(ゆぎ)・蓋(きぬがさ)・家などの形をした形象埴輪に大別される
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埴輪日本古墳頂部和墳丘四周排列的素陶器的總稱。分為圓筒形埴輪和形象埴輪。
圓筒形埴輪是中空的,彌生後期出現在日本吉備地區,最初是供祭祀用的特殊的器台形陶器。4世紀修造古墳時擴展到畿內。在墳丘周圍排列一層至三層,5世紀後也排列於濠溝外堤。
形象埴輪有屋形埴輪、器物埴輪、動物埴輪和人物埴輪,盛行於5世紀以後。6世紀時在關東地區特別盛行,大量的造型優美的埴輪是畿內周圍所沒有的。九州地區很少,但從埴輪演變來的石人石馬很發達。6世紀後半期至7世紀,再看不到埴輪,這成為日本古墳文化消亡的先兆。

笑っているようで武人 日本最古の人物埴輪か 奈良

2011年2月24日23時40分

写真:茅原大墓古墳から出土した日本最古と見られる人物埴輪=24日、奈良県桜井市、森井英二郎撮影拡大茅原大墓古墳から出土した日本最古と見られる人物埴輪=24日、奈良県桜井市、森井英二郎撮影
写真:茅原大墓古墳から出土した日本最古と見られる人物埴輪=24日、奈良県桜井市、森井英二郎撮影拡大茅原大墓古墳から出土した日本最古と見られる人物埴輪=24日、奈良県桜井市、森井英二郎撮影
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 奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳(国史跡、全長86メートル)で、古墳時代中期初め(4世紀末)に作られたとみられる武人の埴輪(はに わ)1体が見つかった。市教委が24日発表した。人を表現した人物埴輪の出土例は、これまで5世紀初め~前半が最古とされてきた。市教委は「人を埴輪で表 現するようになった契機がわかる重要な発見」と話している。
 同古墳東側のくびれ部で数百の埴輪片が見つかった。つなぎ合わせたところ、高さ67センチ、幅50センチの武人と判明した。盾を構え、頭にはかぶとをか ぶっている。目と口は穴が開いた形で表現され、目やほおの周りに赤い顔料が残っていた。あごには入れ墨を示す線刻模様があった。
 市教委によると、今回の発掘で一緒に見つかった円筒埴輪が4世紀末のものとされることから、この人物埴輪も同時期に作られたとみられるという。古墳上部から滑り落ちた形跡があり、本来は古墳の上に立っていたらしい。
 埴輪は、古墳時代に円筒や水鳥、家などの形で現れたといわれる。しばらく人の形は作られず、大和王権の中枢があった畿内に現れたあと、全国へ広まったと 考えられている。人物の最古の出土例は、5世紀初め~前半の拝塚(はいづか)古墳(福岡市)や墓山(はかやま)古墳(大阪府羽曳野市)だった。
 茅原大墓古墳は、帆立貝式古墳といわれ、前方部が短いホタテ貝のような形が特徴だ。葬られた人物は不明だが、古来、神の山とあがめられた三輪山の西のふ もとにあることから、石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)は「三輪山の信仰と強い関わりのある一族が古墳を守護する意味で作ったのだろう」とみる。
 現地説明会は26日午前10時~午後3時。埴輪も見ることができる。JR三輪駅の北約1キロ。問い合わせは市立埋蔵文化財センター(0744・42・6005)へ。(渡義人)

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