2008年7月17日 星期四

我所不認識的大野先生

我所不認識的大野先生是1977-78年東京大學與英國 Essex 大學交換學生
他是學物理的 在Essex 取得 電腦科學碩士
他去一趟劍橋大學 頗激動 說一並定要去那兒進修
我很羨慕他拿公費 可以到倫敦買許多"電腦科學相關"的書 這些多相當貴的
1978年暑假 我一起與他從倫敦去愛丁堡參加"藝術大拜拜"

我們在倫敦公園聽到鳥鳴
他堅決認為它跟東京的"錄音"類似
讓我"不可思議"....
我們去看愛丁堡當年的特別決節目
"仲夏夜之夢"
我們都如墜五里霧中 不知莎士比亞在攪什麼"翻譯".....


那天 我要查他現在的芳蹤 雖然我只知道他叫 Ono
這樣稱呼他很不客氣呢 真失禮



国語学者「日本語練習帳」、大野晋さん死去 88歳

2008年7月14日12時15分


写真大野晋さん

 日本語研究を通じて「日本とは何か」を追究し続けた国語学者の大野晋(おおの・すすむ)さんが14日午前4時、心不全のため死去した。88歳だった。通 夜は17日午後6時、葬儀は18日午前10時から東京都台東区谷中7の14の8の天王寺で。喪主は妻千恵子(ちえこ)さん。

 東京・深川生まれ。43年に東京帝大(現東京大)国文科を卒業後、橋本進吉の上代特殊仮名遣いの研究を継承して音韻や文法の研究に取り組んだ。 53年に「上代仮名遣の研究」を発表、「日本書紀」の万葉仮名に清濁の区別があったことを指摘するなど、上代語の解釈に新分野を開拓した。57年の「日本 語の起源」などでは、国語の語彙(ごい)の歴史的な変遷について究明し、顕著な成果を残した。

 60年から90年まで学習院大学教授を務めながら、国語を通じての幅広い視野に立った日本文化論を展開。日本語がどこから来たかを問い続け、79 年から南インドのタミル語と日本語との関連を論じた新説を発表、反響を呼んだ。独自の文明論に発展したこの学説には批判も多かったが、研究の集大成として 00年に「日本語の形成」、04年には「弥生文明と南インド」にまとめた。

 63年に帰宅途中の女子高校生が殺された「狭山事件」に際しては、脅迫状を言語学の立場から分析、被告の無罪を訴えた。また、66年から3期、国語審議会(現・文化審議会国語分科会)委員を務めるなど、日本語教育のあり方についての「ご意見番」としても知られた。

 最近は約3千の古語の語源や変遷をたどる「古典基礎語辞典」の編集に教え子らと取り組み、「この辞典ができるまでは死ねない」と最後まで語っていたという。同辞典は来年、刊行予定。

 著書に100万部を超すベストセラーとなった「日本語練習帳」や、「日本語の年輪」「日本語の文法を考える」「岩波古語辞典」(共同編集)などがある。

沒有留言: