2017年4月3日 星期一

Seibi Natsume 夏目 成美 1749-1816

 
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_d0091/index.html

成美自画賛「宮さまも」 1軸
江戸中期
文庫31 D0091

江戸の俳人、夏目成美による画賛。「上野にて 宮さまもおよらぬさうな花に風」と句を詠み、花見中らしき宮女二人を描いている。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/ga_haikai/list-4.html
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「あふむけば口いつぱいにはる日かな」(成美)。夏目成美は江戸後期の俳人である。本業は武家相手に米の仲介業をした蔵前の札差(ふださし)で、商人としての顔を持っていた。一方、俳諧をたしなみ、寛政時代の三大家の一人と言われた。
 江戸時代の商人の教養の高さを感じさせるが、成美は一時期、小林一茶のパトロンのような立場で、その生活を助けた。藤沢周平の小説『一茶』では、屈折した一茶と成美の交流が描かれている。
 当時は現代ほど出版文化が盛んではなく、俳人が自立して生活できるほど経済的に余裕があったわけではない。別に職業を持ち、余技として俳諧をたしなむのが普通だった。俳句だけで生活するには俳諧の師匠とならなければならず、弟子たちの援助や作品の添削の謝礼などが主な収入だった。
 それでも、なかなか生活できるだけの余裕はないので、地方の弟子や支援者の家を回り、そこに寄宿しながら生活した。芭蕉の吟行も、こうした支援者を訪ねながらの旅でもあった。
 「うら門のひとりでにあく日永かな」(一茶)。同じ春の日を詠みながら、成美の端正で品性を感じさせる句と比較すると、野性的で粗野な感じがするのも、その育ちの違いの故だろう。
 一茶の句からは、経済基盤のない危うさ、寂しさなどが伝わってくる。しかし、冬が終わり、春を迎える喜びは、二つの句から同じように感じられる。春を代表する桜の花が、東京では満開になろうとしている。
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夏目 成美(なつめ せいび、寛延2年1月10日1749年2月26日) - 文化13年11月19日1817年1月6日))は江戸時代後期の俳人。幼名は泉太郎。は包嘉。初号は八郎治、別号に修行庵、随斎、不随斎、法林庵、贅亭、無辺法界排士、卍齢坊、大必山人、四三山道人、風雲社など。
岩間乙二鈴木道彦と共に寛政三大家、大島完来、鈴木道彦、建部巣兆と共に江戸四大家と称される。本業は蔵前札差で、六代目井筒屋八郎右衛門、隠居後儀右衛門を名乗った。

生涯[編集]

寛延2年(1749年)1月10日、浅草瓦町(台東区浅草橋)に蔵前札差五代目井筒屋八郎右衛門宗成の子として生まれた。兄4人はいずれも夭逝し、5人目として父が高齢での誕生となった。当時の蔵前の札差等は皆俳諧に親しんでおり、宗成の兄伊藤祇明稲津祇空に師事した俳人であり、その一家も皆俳諧を嗜んでいたため、生まれながらにして俳壇に進む土壌にあった。生まれてから3,4歳まで、夫祇明を寛延元年(1748年)10月4日に喪っていた伯母の下に預けられた。宝暦元年(1751年)夏目家に引き取られる。幼少時は市河寛斎に句読を学んだ。
宝暦13年(1763年)、松庵編『猪武者』に八郎治として入句した。句は「うぐひすの八人芸や谷わたり。」
明和元年(1764年)6月1日家督を継ぎ、六代目井筒屋八郎右衛門となる。翌年父宗成は剃髪して今戸に隠棲した。明和3年(1766年)秋、右足に痛風を患った。天明2年(1782年)、病気のため家督を弟庄兵衛に譲ったが、翌年天明3年(1783年)7月22日に死去したため、復職した。
寛政2年(1790年)8月初旬、本所多田森(墨田区東駒形)に別宅宝法林庵を構えた。寛政7年(1795年)0月23日常住し、10月頃軒端続きに贅亭を構えた。
寛政10年(1798年)に江戸に出て本所相生町五丁目裏長屋に住んでいた小林一茶の朝食を賄う一方、留守番や仏画の手入れを手伝わせた。
文化11年(1814年)夏、子息に請われて浅草瓦町の本宅近くに移住したが、翌年10月5日夜より病を患った。文化13年(1816年)春から夏にかけて小康があったが、9月中旬喘息の発作が起こり、11月19日暁死去した。享年は父と同じく68であった。法号は等覚院成美日済居士。墓所は下谷車坂蓮華寺(現在豊島区駒込に移転)。

作品[編集]

天理大学附属天理図書館安永8年(1779年)から寛政12年(1800年)までの句日記が残されている。
  • 『杉はしら』安永8年(1779年) - 安永10年(1781年)
  • 『いかに/\』安永10年(1781年) - 天明2年(1782年)
  • 『あかつき』 天明2年(1782年) - 天明4年(1784年)
  • 『手ならひ』天明4年(1784年) - 天明6年(1786年)
  • 『一陽集』天明6年(1786年) - 天明8年(1788年)
  • 『谷風草』天明9年(1789年) - 寛政2年(1790年)
  • 『厚薄集』寛政2年(1790年) - 寛政4年(1792年)
  • 『随斎句藻』寛政5年(1793年) - 寛政6年(1794年)
  • 『随斎句藁』寛政7年(1795年) - 寛政10年(1798年)
  • 『はらはら傘』寛政10年(1798年) - 寛政12年(1800年)
これらから秀句が『成美家集』『続成美家集』に集められ、これを基に没年の文化13年(1816年)中村屋武兵衛から『成美家集』が出版された。
その他の著書に以下等がある。
  • 『七部集纂考』
  • 『随斎諧話』
  • 『四山藁』
  • 『糂汰瓶』弟庄兵衛吟江と共編
  • 『浅草はうご』
  • 『一夜流行』
  • 『浅草』
近代には明治33年(1900年)『俳家成美全集』、昭和58年(1983年)『夏目成美全集』が出た。

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