2012年1月20日 星期五

国内最古「いろは」土器 三重の国史跡で出土

はじ【土師】

    《「はにし」の音変化》
    上代、陵墓管理、土器や埴輪(はにわ)の製作などをした人。
    古代の氏族。土師部(はじべ)を統轄した伴造(とものみやつこ)で、のち、菅原・秋篠・大枝(おおえ)などの諸氏に分かれた。

はじ‐き【土師器】

    古墳時代から平安時代にかけて用いられた素焼きの土器。赤褐色か黄褐色で、文様がない。多くは轆轤(ろくろ)・窯(かま)を用いずに焼成。煮炊き用・食器として用いられ、5世紀以降は須恵器と併用。土師部(はじべ)が焼いたところからの名。

国内最古「いろは」土器 三重の国史跡で出土




写真:墨で「ぬるをわか」と書かれた土師器(はじき)拡大墨で「ぬるをわか」と書かれた土師器(はじき)

写真:裏にも「つねなら」の文字が書かれている拡大裏にも「つねなら」の文字が書かれている


 国の史跡・斎宮(さいくう)跡(三重県明和町)から、ひらがなで書かれたものとしては国内最古となる「いろは歌」が墨書された土器が出土した。同県立斎宮歴史博物館が発表した。

 見つかったのは、平安時代の11世紀末から12世紀前半にかけて作られたとみられる土師器(はじき)の破片。一辺約2センチで、復元すると直径約9セン チ、高さ約1センチになるという。土器の内側には、いろは歌の一部の「ぬるをわか」、裏には「つねなら」と、それぞれ墨で書かれていた。

 2010年10月に出土し、岐阜聖徳学園大の所京子名誉教授(国文学)や龍谷大の藤本孝一客員教授(日本史学)の指導の下でほかの出土例を検討。いろは 歌は平安時代中期に成立したとされているが、これまでいろは歌が書かれた平安時代の土器は見つかっておらず、ひらがなで書かれたいろは歌は岩手県平泉町の 志羅山(しらやま)遺跡で見つかった12世紀後半のものとみられる木簡が最も古かった。

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