2021年3月21日 星期日

縹絽地風景歌文字模様単衣 Unlined Summer Kimono (Hito-e) with Landscape and Poem,

 

単衣 鼠絽地笠杖砧風景模様 ひとえ むらさきろじかさつえきぬたふうけいもよう

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染織 / 江戸 

江戸時代・19世紀
丈155.2 裄63.0
1領

江戸時代後期における武家女性用の夏の単衣。鮮やかな流水模様は、江戸時代後期に輸入され錦絵や染織に利用されたプルシアン・ブルー、いわゆる「ベロ藍」が用いられている。後ろ身頃には笠に杖の模様で能「弱法師」、砧で能「砧」を表わしている。

















Unlined Summer Kimono (Hito-e) with Landscape and Poem ...


縹絽地風景歌文字模様単衣. Title: Unlined Summer Kimono (Hito-e) with Landscape and Poem. Period: Edo period (1615–1868). Date: second half of the 18th century. Culture: Japan. Medium: Embroidered and resist-dyed silk gauze (ro).



 

"Celebrating old age, turtles⁣⁣
live for ten thousand years,⁣⁣
and the offspring of cranes⁣⁣
for a thousand years—⁣⁣
flourishing in their long lives."⁣⁣
⁣⁣
Why share a poem when you can *wear* a poem? ⁣⁣
⁣⁣
Embracing #WorldPoetryDay with a glimpse at this cheerful light, unlined summer kimono (hito-e) that features this poem celebrating longevity and happiness, interspersed with flowers and plants of the four seasons. 💙 ✨
Can you spot all four?⁣ 🔎 Here's where to look: along the hem, notice the spring flowers. Above them, there's wisteria and other summer plants. Toward the middle, check out the autumnal maple leaves. And around the neckline and on the sleeves, you'll see winter pine-sapling motifs.⁣⁣
⁣⁣
👘 縹絽地風景歌文字模様単衣 Unlined Summer Kimono (Hito-e) with Landscape and Poem, second half of the 18th century. Edo period (1615–1868). Japan. Embroidered and resist-dyed silk gauze (ro).⁣
A colorful bright blue robe decorated ornately with flowers of all four seasons as well as colorful calligraphy of the poem at the top of the post, which appears across the back and sleeves.


2021年3月16日 星期二

『かくれ里』尋隱日本/『隱里』 By Masako Shirasu (白洲正子)『大蔵寺』。能面等

 

  • 『かくれ里』新潮社 1971、新版2010/講談社文芸文庫 1991
  • 尋隱日本 湖南文藝出版社,2019



經歷[編輯]



Masako Shirasu in 1952.

Masako Shirasu (白洲正子, Shirasu Masako) (January 7, 1910 – December 26, 1998) was a Japanese author and collector of fine arts. Her husband was the diplomat Jirō Shirasu.

白洲 正子(しらす まさこ、1910年明治43年)1月7日 - 1998年平成10年)12月26日)は、日本随筆家。 「白正子」は誤記。東奔西走する姿から、「韋駄天お正」とあだ名された。読売文学賞二度受賞。


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かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) (日本語) 文庫 – 1991/4/3





世を避けて隠れ忍ぶ村里――かくれ里。吉野・葛城・伊賀・越前・滋賀・美濃などの山河風物を訪ね、美と神秘のチョウ溢(チョウイツ)した深い木立に分け入り、自然が語りかける言葉を聞き、日本の古い歴史、伝承、習俗を伝える。閑寂な山里、村人たちに守られ続ける美術品との邂逅。能・絵画・陶器等に造詣深い筆者が名文で迫る紀行エッセイ。

  • 『白洲正子全集』 新潮社(全14巻別巻1) 2001-02 - 別巻は対話集

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宇陀市の山中にある『大蔵寺』へお参りしてきました。ここは、白洲正子さんの紀行文『かくれ里』に登場したお寺です。それから40年たった今なお、その時の侘びた雰囲気が残っていました(※参拝には様々な注意事項がありますのでお気をつけください)。

弘法大師が高野山の前に開いた「元高野」

奈良県宇陀市にある『大蔵寺』(山号:雲管山)は、聖徳太子の創建とも伝わる古刹です。平安時代初期には、高野山を開く前、道場とする地を探していた弘法大師・空海が入山し、真言宗最初の道場とここに定めました。

空海が高野山を開く際には、独鈷(金剛杵)を投げて落ちた場所を選んだという言い伝えが残されていますが、その最初に落ちた場所こそが、大蔵寺の場所であるとされており、このため「元高野」とも呼ばれ、信仰を集めてきました。

歴史的にはよく分からない部分も多い大蔵寺ですが、このお寺の名前を有名にしたのは、白洲正子さん(白洲次郎氏の奥さまです)のエッセイ『かくれ里』でしょう。

これは、白洲正子さんが、1969年から2年間にわたって「芸術新潮」に連載し、1971年に単行本として刊行されたものです。今から40年も前の紀行文となります。文字通り、世を避けたように存在するか隠れ里を歩き、その土地の歴史・伝統・美術・風習などを伝えていて、油日や湖北、奈良では宇陀、吉野、葛城、田原、円照寺などを巡っています。その中で、大蔵寺は連載3回目の「宇陀の大蔵寺」の回で取り上げられていま

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室生寺
室生寺

宇陀」という地名自体は万葉の時代から存在し、歌人・柿本人麻呂が現在の大宇陀の阿騎野で「東の野にかぎろひの立つ見へて返り見すれば月傾きぬ」という秀歌を詠んだことは非常に有名である。また、大宇陀は城下町としても栄えた。榛原も万葉の時代からその名を残しているが、伊勢街道が本街道と青越え道に分岐する分岐点にある宿場町として近世に栄えた。本居宣長が宿泊した宿など、歴史的建造物も現存する。また、菟田野、室生も歴史上古くから存在し、多くの遺跡や文化財が存在する。



うだし
宇陀市


額井岳
室生寺 又兵衛桜
宇陀松山伝統的
建造物群保存地区
大野寺



宇陀市旗
2006年1月1日制定 宇陀市章
2006年1月1日制定

日本
地方 近畿地方
都道府県 奈良県
市町村コード 29212-5
法人番号 5000020292125
面積 247.50km2

総人口 27,828人 [編集]
推計人口、2021年2月1日)
人口密度 112人/km2
隣接自治体 奈良市桜井市山辺郡山添村宇陀郡曽爾村吉野郡吉野町東吉野村
三重県名張市
市の木 ひのき
市の花 すずらん
市の鳥 うぐいす
宇陀市役所
市長
[編集]金剛一智
所在地 〒633-0292
奈良県宇陀市榛原下井足17番地の3
北緯34度31分40.7秒東経135度57分8.1秒座標: 北緯34度31分40.7秒 東経135度57分8.1秒




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市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト






■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村



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宇陀市(うだし)は、奈良県北東部に位置する


目次
1地理
1.1地形
1.2隣接する自治体
1.3気候
2歴史
2.1沿革
2.2市域の変遷
2.3地域自治区
3行政
3.1歴代市長
3.2議会
3.3行政機関
4経済
4.1産業
4.2金融機関
4.3農業協同組合
4.4日本郵政グループ
5地域
5.1人口
5.2学校教育
5.3社会教育
5.4医療
6交通機関
6.1鉄道
6.2バス
6.3道路
7名所・旧跡
8著名な出身者
9脚注
10関連項目
11外部リンク
地理[編集]

旧榛原町中心部周辺の空中写真。
2011年10月9日撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

旧大宇陀町中心部周辺の空中写真。
2011年10月9日撮影の4枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

旧菟田野町中心部周辺の空中写真。
2011年10月9日撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

旧室生村中心部周辺の空中写真。
2011年10月27日撮影。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。




2021年3月4日 星期四

藝術家 Toko Shinoda 篠田 桃紅 (1913~2021): “Harmony” (2003), “New Dimension,” a lithograph triptych from 1993...

藝術家  Toko Shinoda 篠田 桃紅 (1913~2021): “Harmony” (2003), “New Dimension,” a lithograph triptych from 1993...

https://www.facebook.com/hanching.chung/videos/4254397617904346

"When paintings that I have made years ago are brought back into my consciousness, it seems like an old friend, or even a part of me, has come back to see me.” —Shinoda Tōkō
Remembering the great Shinoda Tōkō, who passed away this week at the age of 107. A painter, printmaker, lithographer, and esteemed calligrapher, she gained great fame during the postwar period for her graphic works, which often incorporated abstracted calligraphic motifs.
🎨 Shinoda Tōkō (Japanese, 1913–2021). Fugue, 1984. Lithograph; ink and color on paper © Shinoda Tōkō.
A black and white lithograph with abstracted black strokes resembling calligraphy. On the central diagonal stroke a faint stroke of bright green serves to disrupt the otherwise monotoned composition.



 In memoriam: The Japanese artist Toko Shinoda’s fluid, elegant work owed much to calligraphy, but she also complemented its ancient serenity with the influence of Jackson Pollock and Mark Rothko. She died at 107.

During World War II, when she forsook the city for the countryside near Mount Fuji, she earned her living as a calligrapher, but by the mid-1940s she had started experimenting with abstraction. In 1954 she began to achieve renown outside Japan with her inclusion in an exhibition of Japanese calligraphy at MoMA.

In 1956, she traveled to New York. At the time, unmarried Japanese women could obtain only three-month visas for travel abroad, but through zealous renewals, Ms. Shinoda managed to remain for two years.

She met many of the titans of Abstract Expressionism there, and she became captivated by their work.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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篠田 桃紅
(しのだ とうこう)
生誕1913年3月28日
関東州大連市
死没2021年3月1日(107歳没)
東京都青梅市
著名な実績絵画
版画

篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子[1]1913年3月28日 - 2021年3月1日)は、日本美術家版画家エッセイスト。映画監督の篠田正浩は従弟にあたる[1]

来歴[編集]

日本の租借地だった関東州大連に生まれる[2]。5歳頃から父にの手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しいの造形を試み、その作品は水墨抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後は日本で制作し各国で作品を発表している。

和紙に、金箔銀箔金泥・銀泥朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。近年はリトグラフも手掛けている。

海外では昭和30年代から美術家としての評価が高かったが、日本では海外ほどの評価を得ることができないままであったが、2000年代に入り新潟県新潟市岐阜県関市に篠田の名を冠するギャラリーが相次いで開館し、2010年代に入ってもエッセイがベストセラーになりメディアにもたびたび登場している。

2014年5月、沼津市役所特別応接室に1966年に納入した壁画「泉」が、30年以上存在が忘れられた状態から再発見されたことが報じられた[3]2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラーになる[4]

2021年3月1日、老衰のため東京都青梅市の病院で死去[5][6]。107歳没。