茶陶作家の清水久嗣さん㊧、翠洸洞の谷口さん
首相Abe參加伊勢神宮式年遷宮.......
神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)のことである。
2013年には10回に渡って三重テレビ他で『伊勢神宮式年遷宮 特別企画「お伊勢さん」』を放送した。
概要
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。神宮では、原則として20年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋[1]なども造り替えられる。記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の治世の690年(持統天皇4年)に第1回が行われた。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。
2005年(平成17年)から第62回式年遷宮の各行事が進行し、2009年(平成21年)に主要な行事である内宮に係る「宇治渡始式」が、2013年(平成25年)には正遷宮(神体の渡御)が斎行された。
意義
式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で正殿等が造られているためである。塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる。漆を木の塗装に用いるのは縄文時代から見られ、式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀頃には、既に礎石を用いる建築技術も確立されていた。現に、この時代に創建(または再建)された法隆寺の 堂宇は、世界最古の木造建築としての姿を今に伝えている。とすれば、当時の国力・技術をもってすれば、神宮も現在にも残る建物にすることは可能であったと 思われる。それをあえて、定期的に膨大な国費を投じることとなる式年遷宮を行う途を選んだ理由は、神宮にも記録がないため不明である。
推測される主な理由としては、次の4点が考えられる。
- 過去の建築様式である弥生建築の保存のため。当時においても、過去の建築様式である弥生建築を保つことに何らかの意義を見出していたために、式年遷宮によって建築様式の保存を図ったのではないか。
- 神道の 精神として、常に新たに清浄であること(「常若(とこわか)」)を求めたため。建物がいまだ使用可能の状態であっても、老朽化することは汚れ(ケガレ。気 枯れ)ることであり、神の生命力を衰えさせることとして忌み嫌われたため、建物を新しくすることにより神の生命力を蘇らせ、活性化することになると考えら れたのではないか。
- 大嘗祭、新嘗祭、神嘗祭など、祭祀の意義が再構築されたため。毎年行われる天皇祭祀である新嘗祭に対して、天武天皇の時代に初めて行われた大嘗祭は、即位後初めて行われる新嘗祭であり、一世一度の行事として特別視された。これに対応して、毎年行われる神嘗祭に対して、20年に一度行われる大神嘗祭として、式年遷宮が行われるようになったのではないか。
- 皇宮の遷移に代えて、遷宮が行われたため。天皇の住まいであり政庁である皇宮は、天武天皇の治世以前には、天皇の代替わりごとに移し替えられていた。しかし、恒久的な宮である藤原京が建設されることとなり、宮の遷移が行われなくなったため、その意義を神宮の遷宮に託したのではないか。
- 建物の「清浄さ」を保つ限度が、20年程度であるため。これは、耐用年数という意味ではなく、神道の宗教的な意味における「清浄さ」である。
- 建替えの技術の伝承を行うためには、当時の寿命や実働年数から考えて、20年間隔が適当とされたため。建築を実際に担う大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働き、30歳代から40歳代で中堅から棟梁となり、50歳代以上は後見となる。このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる。
- 旧暦の「朔旦冬至(さくたんとうじ)」(11月1日が冬至にあたること)が、19から20年に一度の周期(メトン周期)であるため。
- 一世代がおよそ20年であるため。
- 神嘗祭に供される穀物の保存年限が20年であるため。
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