Japanese museums offer 567 masterpieces on Google
BY JUNICHIRO NAGASAKI STAFF WRITER
2012/06/13
Hideyori KANO: "Takao Kanpu-zu byobu" (The folding screen of Viewing Maple Trees in Takao). 狩野秀頼:『高雄観風図屏風』
Hideyori KANO: "Takao Kanpu-zu byobu" (The folding screen of Viewing Maple Trees in Takao). 狩野秀頼:『高雄観風図屏風』
"Kanpuzu
Byobu," a national treasure, is shown on Google Inc.'s Art Project
site. The folding screen is recorded with a resolution of 7 billion
pixels. (Provided by
Google)
Exhibits of the Tokyo National Museum shown on Google Inc.'s Art Project site (Provided by Google)
Google)
Exhibits of the Tokyo National Museum shown on Google Inc.'s Art Project site (Provided by Google)
Six museums in Japan have teamed up with Internet services firm Google
Inc. to make many of their artworks only a few keystrokes away.
- びょう‐ぶ【屏風】
- 《風を屏(ふせ)ぐ意》室内に立てて風をさえぎったり、仕切りや装飾に用いたりする調度。長方形の木の枠に紙・絹を張ったものを2枚・4枚・6枚などとつなぎ合わせ、折り畳めるようにしてある。多くは表面を...
狩野秀頼
狩野 秀頼(かのう ひでより、生没年不詳)は、日本の室町時代から安土桃山時代の狩野派の絵師。狩野元信の次男、あるいはその子供。現在は「ひでより」と呼ばれるが、当時は「すえより」または「すへより」と呼んだようだ。近世初期風俗画の最も早い時期の名品「高雄観楓図屏風」の作者として知られる。
目次
略伝 [編集]
「秀頼」印を捺す作品が幾つか残っているが、その人物像については謎が多い。狩野元信の次男「乗信秀頼」のことで、元信に先立って死去したという説(『本朝画史』附冊の「本朝画印」)と、元信の孫で乗真の子「真笑秀政」と同一人物とする説(『弁玉集』『丹青若木集』『画工便覧』『画工譜略』)がある。どちらが正しいか決めがたいが、「神馬図額」には、永禄12年(1569年)の年紀があり、元信没後も活躍したことがわかる。この図額には「狩野治部少輔」と署名しているが、これと同年狩野松栄が厳島神社に奉納した絵まで名乗った民部丞を官位相当表で比べると、前者が従五位下、後者が従六位下または正六位下で、松栄より高位なことがわかる。
『言継卿記』天正4年8月17日条に「狩野治部入道」が座敷の絵を描いたとあり、この頃には剃髪していたようだ。「本朝画印」には扇絵が多く、画風は元信に似ていたという。『画工譜略』の「狩野画家之系図」では、信正秀頼の行年を61歳としている。
現存作 [編集]
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