2025年12月5日 星期五

37000年生活文化史展示 NHK 國際跆 2025 國立歷史民俗博物館(日語:国立歴史民俗博物館,簡稱歷博)位於千葉縣佐倉市城內町。国立歴史民俗博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん、英語: National Museum of Japanese History, 略称:れきはく、歴博)は、千葉県佐倉市の佐倉城趾にある、日本の歴史、民俗学、考古学を総合的に研究・展示する歴史博物館。国立の研究機関かつ教育機関で、人間文化研究機構が運営している。展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件[1]。建物は芦原義信の設計で

 

國立歷史民俗博物館(日語:国立歴史民俗博物館,簡稱歷博)位於千葉縣佐倉市城內町。主要用於日本的考古學歴史、民俗的研究與展示。

歷史

1981年建成開館,毗鄰佐倉城[1]

榮譽

該建築獲得第24回BCS賞[2]

參考資料

  1.  れきはくとは こどもれきはく(国立歴史民俗博物館). www.rekihaku.ac.jp. [2019-03-25]. (原始內容存檔於2018-01-04).
  2.  BCS賞受賞作品 日本建設業連合会. www.nikkenren.com. [2019-03-25]. (原始內容存檔於2019-03-30).

外部連結

 国立歴史民俗博物館
National Museum of Japanese History
本館
地図
 国立歴史民俗博物館
1.京成佐倉駅2.JR佐倉駅
施設情報
愛称歴博、れきはく
専門分野日本文化歴史民俗学考古学
管理運営大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
開館1981年4月14日
所在地285-8502
千葉県佐倉市城内町117
位置北緯35度43分28.19秒 東経140度13分8.69秒座標北緯35度43分28.19秒 東経140度13分8.69秒
外部リンク国立歴史民俗博物館
プロジェクト:GLAM
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国立歴史民俗博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん、英語National Museum of Japanese History, 略称:れきはく、歴博)は、千葉県佐倉市佐倉城趾にある、日本歴史民俗学考古学を総合的に研究・展示する歴史博物館。国立の研究機関かつ教育機関で、人間文化研究機構が運営している。展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件[1]。建物は芦原義信の設計で、第24回BCS賞を受賞した[2]

概要

博物館 入口

古文書古記録、絵図といった歴史資料考古資料民俗資料等約9千点の資料を展示し、更に約22万点の収蔵資料を保存している[1]。「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とし、常設展示は日本列島に人類が暮らし始めた数万年前から高度経済成長後の1970年代までの日本の歴史と文化についてが中心である。

大学における学術研究の発展及び資料の公開等一般公衆に対する教育活動のための大学共同利用機関として1981年(昭和56年)4月14日に設置され[3]、調査研究の成果を展示する博物館としての一般公開は2年後の1983年(昭和58年)3月から始まった[4]

また、大学院生の教育機関でもある。1999年(平成11年)度から総合研究大学院大学の文化科学研究科日本歴史研究専攻博士後期課程を担当し学生の教育も行っている[5]

博物館の設計は芦原建築設計事務所が行っており、第24回BCS賞を受賞している[2]。敷地面積129,496m2、延床面積35,548m2、建築面積17,124m2。周辺は佐倉城址公園として整備され、佐倉連隊当時に平削・埋立された遺構の一部(馬出し、空堀、土塁等)が復元されている[6]

設立の経緯

日本には明治時代から東京、京都奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館(後の東京国立博物館京都国立博物館奈良国立博物館)が存在したが、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意見は早くからあった。歴史学者黒板勝美は既に昭和戦前に国立歴史博物館の必要性を訴えていた。しかし、国立の歴史系博物館の設置構想が具体化するのは第二次世界大戦後のことであった。

1966年昭和41年)、日本国政府は「明治百年」記念事業の一環として歴史民俗博物館の設置を決定し[4]、以後、学識経験者らによって建設地、展示内容などが検討され始めた。1971年(昭和46年)には文化庁内に博物館設置のための基本構想委員会が置かれ[4]1978年(昭和53年)には同じく文化庁内に国立歴史民俗博物館設立準備室が設置されて、ようやく開館へ向けての準備が本格化した。同準備室の室長は歴史学者で東京大学名誉教授の井上光貞であった[4]。「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とすること、博物館は大学共同利用機関とし、調査研究機能を充実することといった歴博の基本コンセプトは、井上の発想によるところが大きい[6]。建設地は、江戸時代には佐倉藩藩庁が置かれており、明治年間には陸軍佐倉連隊の施設が置かれていた歴史ある地として佐倉城址の一角に決定し、敷地一帯の発掘調査と整備が行われた[6]

国の機関としての国立歴史民俗博物館は1981年(昭和56年)に発足し、井上光貞が初代館長となった。ただし、博物館としての一般公開が始まるのは2年後の1983年(昭和58年)3月のことである[4]。初代館長であり、歴博の設置準備において終始指導的立場にあった井上は一般公開開始直前の同年2月に急逝し、東京大学文学部教授の土田直鎮が第2代館長となった[4]

2004年(平成16年)4月1日の国立大学の法人化と同様に国文学研究資料館国際日本文化研究センター総合地球環境学研究所国立民族学博物館等と連携して大学共同利用機関法人人間文化研究機構を創設した[4]。設置の法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項、並びに第5条。